Blue Lotus かずみ

kazumiです。

夢は、行ってみたい国々を旅する。
インヨガ、坐禅、WATSU の身も心も拡がる心地よさに身をまかせることが大好き💕

北スコットランドの自然と調和して生きるを探求、実践しているスピリチュアルなコミュニティー、フィンドホーンで誕生した『トランスフォーメーションゲーム』を開催。フィンドホーンより先生をお招きしてFacilitaror育成トレーニングもコーディネートしています。

記事一覧(68)

猫Guess の独り言

14夜、今宵は月がきれいでした。Findhornに住む友人の今日のお話では、フォレスの街のカフェやレストランもクローズ状態だそうです。クルーニーキッチンでは、スタッフは減り、3人のスタッフで24人の人々に対して運営しているようで人で、が足りず大変そうです。「こっちの人は、手洗い、うがいをあんまりしないの。私は手がかさかさになるほどやってるわ(笑)手洗い、うがいをよくするのよ」強く助言をいただきました(笑)」今年、予定していた7月の日本語 でのCo -Creation ワークショップツアーは、難しそうです。ところで、私は盲目的にFindhorn ファンでありません。ここでの意識の「ある部分」を好んでいます。WSからの学びは、どれもとても興味深く だいすきです。そこで起こる多くの気づき、そのものが好きです。そして、1番好きなのは、この土地のバイブレーションです。肉体、非肉体の全体を寛がせ和ませる何か fit するものがあるのかもしれません。起こること全ては、うまくいっている 、 all is very very well。それしか 起こらない し、それ以外起こりようがない。その途上を生き続けている私たち(人類の歴史) 、世界、ユニバース。何が正しいのか、良いのか、誰もわからない、知らない、決めることのできない こと。では、経済至上主義やパラダイム思想の幻想から解き放たれた世界 、生き方 って、どんなものなんのでしょう……。物や目に見えないもの(愛や知性や品品性etc)それらほしいすべての何かを得る、持つ生き方から 「ある 」という生き方への 移行はどうすればできるのでしょうか………。長い間、欲しいものが手に入れば、誰もが幸せになると信じて進んできて、行き詰まってしまった社会。1人1人にできることは、得ることに力を注ぐ他にすでに ある ことに目を向け 創造的に生きることができる力を(能力)を 発揮する。力(能力)を ものとして扱い使うのではなく、自然発生で発動されている状況が望ましい。そこに必要なのは、教育なのではないかとしみじみ思います。*(ある生き方については、エーリック フロム著の「生きるということ」という本が役立ちます。)意識を拡げて拡げて………その先へ。心地よく、深い呼吸をしながら 漠然とした イメージを ただカラダで味わう。のびのびとくつろいで 呼吸しよう= 自由に生きよう。(何かをする (do )好きなことかができる ことだけが 自由 というものじゃない。)思い出の彼方から 美しい夕暮れのFindhorn bay へ想いをはせて。

猫Guessの独り言 stillness

とっても久しぶりになってしまいました。ふつうに泥にまみれて、残り火のような喜びとともに息してました。コレ、新型のコロナ ウィルスとは関係ないのだけれど、静かになるための予兆だったのかもしれない。昨年の晩秋あたりからエゴの歪み?執われ?に乗っ取られては、素地に戻り、また乗っ取られと 自己の世界で小さく息をしていた。だから、大好物の気づきがなくてネ………。そして、ついに久しぶりに来た〜〜〜って感じ。私、もう長いこと瞑想をしているんだけど、ある程度、「ある が ある」の感覚がある。呼吸の感覚、そして次に来る感覚に身を明け渡す。すると、私は 消えて そこに 現れるのは、安心、 満足 、感謝、喜び、至福 というような 感覚だった。それだけで十分!十分!と「私欲」を出さず、「座り続け来た」今朝の気づきは、そこに大きな落とし穴があった。「私欲を出さず、座り続けた」  これこそが私欲で、私だったのだ。本当に大きな誤解、いや奢りと言えるトリッキーなGameをしていた。私は、悟りや覚醒を目指して座っているわけじゃない………。本気でそう思っていたのだ。そして、けさ友人と話していて、気づいた。ただ何にもおもわず座ろう………と。だれかの幸せ、自分の幸せ…………まったく関係ない。 ただそこにstay しよう。そこに 居続ける  ……stillness静止   そして 現れるもの  それ。愛でも喜びでも満足でもいいし、言葉を超えた    、、その事実  それは  説明できない  それ。 感覚 肉体に付随するあれやこれ に抵抗し続けるより 明け渡すあるがまま ノーコントロール   ノージャッジメント  ノーミィーニング  ノースィグネス言葉の概念から外れて…………、ただある。探す必要はなかった。私の実態は、表面は人間のかたちをしたもの 。 そして  その実、空間  あるいは  ウェイブ。 「ありがとう」 感謝と祝福を。

猫 Guess の独り言 思考の 夢のまた夢 編

人生は夢のまた夢 幻想の中で幻想をみ続ける。夢、瞬間的に広がる天然色の物語。空気感や香りや音や触覚や超感覚や味覚やさえ感じる、脳内で起こるエピソード。続きをみようと意図して眠っても、夢の続きは予想外のものになる。そしてまた、夢には メッセージのようなものも 時にある。〜 朝方 みた 鮮明な夢 〜しかし、この夢のメッセージは、紐解けなかった。納屋を改装したような木の階段を降りると知人がその人の知り合いらしい人とお茶を飲んでいた。知人は屈託のない表情でおしゃべりをしている。私は、その知人に対して苦手意識があり、どうやら階段を降りるのを躊躇している。知人は、私がそこにいることを まだ気づいていないか または気づかぬふりをしているようだ。場面は変わり、どこかの家のキッチン。そこには、別の知人がいて、楽しそうに料理をしながらいつものように陽気で楽しく話しかけてくる。私は、訊ねられたことについて 応えている。起きている出来事について アドバイスをくれる。アドバイスをくれる気持ちをありがたいと思っている。そして、私はいま、アドバイスを 欲しいと願っていない ということに気づいている。私は、自分が話している中身について、自分は 何が目的なのか、何を意図してその話をしているのかに気づいていない。自分自身の話す話の背後にある 意図や意識それを自分自身が理解していない状態でただ話しているようだ。 私は自分を俯瞰しながら 想う。私は、いったい 何を必要として「 話 」というものをしているのだろうか………。私は何者?と探す。思考や感情  というビリーフ =私私は外れ  →  振動  が、そこにあるだけ。* 写真は Bucket listの 訪れてみたい プチトリアノンの水車小屋

猫 Guess の独り言 Next Steps というミニワークから

Transformation Game ®️には、『Next Steps 』という方法があります。長い時間をかけてTransformation Game®️ワークショップを行った最後のまとめや、クライアントの『1つのフォーカスのセッション』を観て進む方向性を見つけるのに役立つものです。セッションは、生きているようなもので、とても流動的です。そこで何が起こるかは まるで予測がつかきません。もし全くおきたことのないパターンが目の前に現れたら、ガイドはどうするのか。一瞬で判断して、Gameの創造性を表現しなければなりません。そんな時は、ルールに基づきながら、このGameの叡智あるいは精霊と言われる「Game Deva」とチューニングしてやることを見つけます。あるミニGameのワークを4人の人たちと行いました。何度かフルのGameに参加してくれた人を中心に2時間ほどの時間をホールドしました。その前に私も含め全員、3時間ほどの1つのクリエイティブなワークショップに参加していました。夕食後に行ったミニセッションの気づきを残しておこうと思います。なぜなら、私という媒体を通して物事を行う際、今後の参考になると思えるものでした。Gameセッションの前に開催したスペースのあり方、クリエイティブ ワークの趣旨のあり方ワーク提供者、スペース提供者、私というガイド、集まる人々のマインド&スピリット セツトと存在のあり方。ここに どのような バイブレーションがあるか。そこに現れるバイブレーションは、場所、そこに集う人々、クリエイティブ ワークなどのすべてと 調和した 結果が 目に見えるもの、目に見えないものとして現れる。ややっこしいのだけど、究極、私たちが生きている世界では、 考えている、感じている、起きているもの、それら全てに宿っている意識とその表現が 現実に反映されて、現実と思うものがそこに現れてくる。その前に参加したクリエイティブ ワークショップに集まった人々は、始まると徐々に軽快になり、オープンで、くつろいでいて、期待でワクワクしているようにみえました。私がスペースに感じていたのは『尊重』、『祝福』、『感謝』、『喜び』 。そして惜しみなく 与える  というキラキラした質でした。「与える 」という意識の根底に は、私がやっている や 私の所有するもの を与えるという マインドを感じることはありませんでした。当たり前でしょ………と思うかもしれませんが、自己を観続けた人たちに多く起こるものです。とても素晴らしいホールドのあり方でした。これらは、場づくりや関係性、生きて行く中で うまくできていてもいなくても私じしんも大切にしていることでした。

陽だまり というフェルトセンス

陽だまりの中でそれはそれは美しい、凛とたった1輪の白いバラ。周りに真紅のローズヒップ(実)がたわわと稔っている。例えると、もしこれが世界に見えている ある人物だとしても 自身にその本当の姿はみえない。まして、もしかしたら誰にも真実はわからない。なぜなら、みえかたは人それぞれのビリーフにかかわっているのだから。そして、私たちの誰もが、本当の私を観ようとしても きっと難しい。観ようとしている私 は 変化をし続けている エナジーやバイブス 。そこでは、個の肉体には、その時点で備わっているリソースやクオリティ、はたまたマインドやメンタル、スピリットなどで存在している。人は、多くの場合、考えかたや感情の反応を  『わたし』と定義し、信じている人も多いかもしれない。人はみな 私という自分は どんな人か 知りたいそしてまた真実?を知ることに躊躇があるのかもしれない。先日、Transformation GameのスーパーバイズGameというのを行ないました。FacilitatorさんのGameの流れ全体をみてサポートをする、コーチや監督者の役割。その中でとても素敵なGameに出会った。私の場合、人物に対して人としてどうだとうという意味で理解するいうより、そこに存在しているエナジーやバイブレーションというフェルトセンスで感じとります。その日のGameに参加された人々の中に愛が(それも慈愛のような)溢れかえっているようにみえました。誰かに私という個性の良い部分や優秀さを知らせたい、誰かに知っている事を教えたい、伝えたい私は、こんな風になりたい ………という思いなどの所謂 強すぎる欲望も感じられなくて、ただ祈りの中にいる………そしてそれが「喜びで幸せ」そんな風にみえていました。このグループに対して、まじりっけのない純粋な1滴の甘露をみていたようなイメージ。とても美しいものでした。陽だまりの中に 存在する spirit。私たちのエネルギーは、「ある」 という スペースでそんざいすると、ため池が出るほど美しいのだと思います。人間には、様々な表情があり、誰1人同じ人はいない。人と同じでは、いられない。たとえて言うと流行りのお洋服をきても、中には似合わない人もいます。同じお洋服を着たくなっちゃうこともあるかもしれないけれど、着てみると着心地が良くない人もいるかもしれません。個性化した それぞれが とても素敵なのだと思います。