『味わう豊かさ』神の遊び場の風
久しぶりに朝から対面でのコンサルデーションコーチングのセッション。
初めてお目にかかる方なので駅までお迎えに向かう。
お茶を飲みながらのコンサルテーションは、力が抜る感じが好きだ。
いくつかのテーマとなるお話を聴きながら、直感的にNext Stepsが合うだろうと、テーマについて観てゆく。
ご自身のリソースであり、方向性を教えてくれる Inthightのカードは2枚とも『今すぐ祝福の場へ移動して祝福をします。』というActionカードだったこともとても興味深い。この道を歩く上で取り組むことでタレント&ギフトになりえる『対立』というパターンへ役立つ個人のリソースも祝福へ移動するというカード。
それは、まるで祈りのような祝福だと感じた。
祝福すること、すぐに移動して行動するということ、それらについて、それぞれの人々によって異なってくる。
それぞれの種のプロセス、使命というような特別なものでなく。
その種そのもの、その質こそがスペシャルだ!
そしてまた、それらを知り。そのプロセスを生きてゆくさまを観るのはとても美しい。
祝福あれ。
余談:kazumiのひとりごと。
街道までお見送りの帰り道、共通点の坐禅についてたわいない話をしながら歩く。
私が真剣に坐りはじめたきっかけは、生きることが苦しくて、蛞蝓になって、誰かに塩をかけてもらいとけて消えてしまいたいと思っていた時期だったこと。
今では想像できないと皆さんからよく言われること(笑)
子供の頃から、道を歩いていたり、人混みの中に入ると大きな静電気のボールが飛んできてぶつかるので痛かったこと。
誰なのか、なんなのかは、わからないけれど話しかけられるように声が聴こえてくること。
他の人の思考の本音や感情がみえてしまう感覚と認識、
それらを誰にであるものだと信じて生きてきたこと。
ある時から他の人の理解や感覚が自分とはあまりにも違っていて、くるしかったこと。
自分はへんなのかも?と思っていたこと
などなど。
坐禅を日課にしたきっかけをはなしていた。
が、話そうと思っているわけでもないのに、勝手に口から話されていった。
話の途中、ぶつかってくる痛い静電気の大きなボールの話あたりで『あら〜、それはたいへんだったですね〜』と言葉ではないコミュニケーションでそこにいてくれた。
そして、あとから
『それは生きにくかったですね』と、優しいお顔と目をしておっしゃった。
こんなふうに声をかけてもらったのは、はじめてだった。
そのコミュニケーションには、わかりあえる嬉しさや喜びがある。
でもそれだけではない。
幸せな感覚は、実は、それだけではない。
お互いがリラックスしていて、余計なものがそこになく、ハートが重なりあい1つになるような、そこにある感覚の体験から認識されたものなのだ。
それを本来の私とよぶ。
なんと豊かでありがたいことか。
今日のセッションの中味、
『祝福のActionを思いながら、もうここに現れた、Yさんのステップの祝福始まっていた。私への祝福のエネルギーを頂いています。』
#いまここの豊かさ存在
#概念の先にあるスペース
#望む豊かさと幸せ
#豊かなコミュニケーション
#坐ってそこに滞在するはただTHATを深く味わう
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