過去の苦味を甘みにかえる
写真は、大天使ラツッエルのボトルです。
左は発売された時のイクイリブリアム ボトルです。
このボトルの象徴することは、過去の苦味を甘みに変える。
『Transformationのボトル』と言えます。
発売当初のボトルは、すりガラスのボトルで、このボトルが意味することの全容は、まだ霧のベールの向こう側でした。
ボトルの意味する全容がopenしてボトルは普通のガラス瓶になりました。
ところで、我が家にあるすりガラス瓶の2層の液体ですが、発売当初のものと現在のボトルの中味は、全く異なる色になってます。
下層のペールパープルは、淡いピンクもしくは淡いブルーに近くなり、上層のペール オリーブグリーンは、黄色味が抜けてペールブルーになってしまいました。
物理的には何年もの時が経ったので色味が変わったということかもしれません。
けれど、それだけではないものを感じます。
黄色が意味することは、 知恵 、 知識、理解、自我、喜びなどです。
ここでは、egoの苦味が消えブループリントが現れ表現されている。
下層に有るパープルさえペールピンクの優しさ、愛、甘み変化しています。
このボトルが熟成される間、個人的にも様々な体験からの経験がありました。
究極的な言い方をすると、木偶の坊から真成の人間になった。
考え方、意識のありようにかなり変化が起きました。
それまでは、私、自我、個性と呼ぶものを私と思っていました。
その性格、能力、才能、器量そしてカラダなどなど、、、、
当たり前として、自分の所有するものとしてました。
けれども、どうやら、それだけではない・・・・と感じ始めて徐々に気づいたのは、
個性、自我、存在、スピリット、それ以外のものも ワタシと呼ぶものの中味だと感じています。
躰の中にそれらすべてが、悠々と住み始め、そこが私の居場所で住処になりました。
すると、以前あった どうにもしようのない 心許なさや頼りなさという感覚は消え失せました。
ずっしりと、あるいはかろやかに いつでも そこに住処があり、統合された存在が住んでいるんです。
数年間で、信仰がおきたわけでもないし、特別なことをしたわけではないのです。
でも、そういった感覚が起きています。
カラダを与えてもらって生きている、
それでいろんなことを経験できる
人生というものへの頭では理解できない不思議さと与えてもらえていることへの感謝。
生きるということ、それは奇跡を経験するという意味へと理解が起きました。
そして それを生きる ということがほとんどの人のミッションなのではないでしょうか?
感謝を 味わう ことへの旅 それが 人が生きること なのではないかと思っています。
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