フィールド から 物質化した わたし

慈悲や奉仕は私にとって無縁のものだと思っていた。
数秘No.33の イクイリアムボトルはドルフィン。ボトルのテーマは、目的のある平和。

そして、42歳からたらたら坐りはじめ、まるでお尻を蹴り上げられるように生活のなかで坐ることを優先するよう宇宙からたくさんのご指導がはいりました。

少しずつ非肉体のフィールドが私という肉体を創り出していることに気づく。

わたしは誰?
わたしはない、そしてわたしは在る。


カラーパンクチャー以外で17年ぶりにコンサルテーションを受けました。
信頼できるセラピストさんに出会えるのは、滅多にないこと、2006以来の出会いです。

コンサルテーションでは、ぼんやりしたフォーカスを意識化し、データを周波数で拾うのでしょうか?それに基づき修正してゆくようです。みている間に数値化して上昇するのがはっきりわかるんです(笑) 

その後に必要に思われるフラワーエッセンスの処方をしてもらいました。過去の私にとっては、このことに挑戦するのが、とてもすごいこと(笑)
(マリオン・リーさんからFindhorn flower essenceのクラスをアドバンスのクラスまで参加しているというのに、全く……)肉体のトリートメントのように明確な効果や効能を感じることができないのです。けれど昨年の12月に手にしたフラワーエッセンスが凄く気に入ってしまいました。
それは、1本購入したレメディを舌下に入れた瞬間に大笑いが飛び出してしまったのでした。そして口に入れるたびに笑いが込み上げてきて、何にもないのにとっても幸せで、嬉しくて満たされていて、揺るぎなくそのものでした。

クライアントのわたしのフィールドがセッションには影響します。またセラピストさんの存在のありようも大きなポイントだと思っています。
その日、ただ寄り添い、すべきことを淡々と笑顔でされている姿にわたしは
励まされ、普段ならブレーキがかかる無謀なチャレンジもできそうかもしれないと思えました。

さて、つい1週間ほど前の目覚めた瞬間に『あっ、そうだ!』と閃きました。
その頃、肉体の自己の思考が停止、かと言って閃きもいざ!という場合を除いては停止状態でした。

その時には、物事をどう進めたらよいかの認識も働かない。
その状態の感覚は、深い呼吸ができず身体が硬く固まっていく感じで生きた心地がしませんでした。
かたや薔薇の水やり、ぼんやり空を眺め、風を肌に受けた感覚を深く味わうあり方は、本当に幸せです。
そおいう生活をそろそろしたい。
硬く石ころみたいな生き方は懲り懲りで、社会の中で活躍する気が失せている、絶不調の状態でした。

私には、これを成し遂げたいという「志し」というものがあまりなく、思いついたからこれをやるという感じで、自分がこういう人になるという考えがありません。流れの中で浮き草のような存在と高校の親友に言われたことをふと思い出しました。

この世の考え方からすると地に足がついていないかもしれないですが、意識の世界に存在が在るとそうとも言えません。 

何か特別なことがあっても無くても日々の中にあるものだけで十分で満足だった。
 
けれど、目の前に積まれた課題から逃げることもできず、一瞬一瞬を意識的に過ごすしかなかった。
さて、いままでと全く異なる層へ突入したようだ。
この先何かどうなるのかも想像できない。

コンサルテーションからいただいたシートを読み、領域の変化と奉仕と慈愛を体現してゆくことが、重要だと、なんとなく感じられる。
それを頭で考えてもしょうもないので、気づいたこと、思いついたことは、なんでもやってみようと思えた。
昔教えてもらったガヤトリ- マントラを謳いながら、しばらく過ごしてみようと思います。

ありがたいことに、たくさんのことを体験して、『目の前に現れたことが、あなたのメンターです』を体験していました。

コンサルテーションで、個人的な自我の混乱だけでなく、生まれてきて、やり残していることに取り組む最終章に入った感じがしています。

鳥には空が見えない
魚には水が見えない
私には自分が見えない
その通りなのでした。

そして、全く予想していなかったplanningまで、イメージがでてきたことに感謝です。

素晴らしいコンサルテーションに感謝しています。
ありがとうございました♪

Blue Lotus ありのままで 

鳥には空が見えない、 魚には水がみえない、 人間には自分がみえない

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