『気づき』と内なる事象
イスラムの神秘主義者で賢者と言われているルーミーの教えは詩を通じたラブレターと言われている。
たしかにその通り。
ひょうそうには、ルーミー素敵!や好きが起こる。深く味わう?と泣けてきて、ないかもしれないけれどココロ?というものが震える。
ルーミーに ではない
その友に だけでもない
そこに在る真実
神に触れる瞬間に (比喩です)
魂?が恋に近い情感やまるで永遠の恋愛かのような幸せと喜びに満たされる。
『Rumi “その友”に出会う旅』
何度も言うよ
その考え方が君のゆく道をベールで覆ってしまうんだ
ルーミー
そしてルーミーは、誘いかける
おいで、おいで
きみが誰であろうとも
さすらい人 崇拝者
世捨て人でも 構わない
私たちは絶望しないものの集い
たとえきみが千回誓いを破ったとしても
おいで、なん度でも やっておいで!
〜和美の呟き〜
長い下宿屋生活を転々としながら旅をつづけている
ある日、目の前に座った旅人をみた
カタチこそ、ちがうけど
それはわたしだった
ある日、目の前にりんごが現れた
りんごは、私へこう話しかけてきた
新しい道へのキーノートだよ。
わたしを食べて(笑)
さらにこう続けた
“全体性と部分について”
君は知ってるかい?
りんごはりんご、当たり前(笑)
だけど、さまざまな要素と部分で構成されて、りんごと呼ばれている。
わたしも同様だ。
わたしは、りんごだ。
わたしはバラだ。
わたしはハーブフルーツウォーターだ。
それらとの関わり、
バラを育てるという関わりとそこに発生していた“それ”
ハーブフルーツウォーターづくりに関わるそこにあった“それ”
全てが協働創造だ。
その瞬間、瞬間に起きているなかみ、という『空間に存在した』もの
そこに真実=リアルがあった。
そこに 友 がいた
#いまにある
#ありのまま
#幸せそして喜び
#単純さの中に含まれた優雅さ
#Transformationとは
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