物語というものの カラクリ 猫Guessの独り言

ここは、私の住んでいる街の美しい夕暮れ。
世界は光の光線が色をつくり、なんと美しいことか。
ここに書く内容は、全て「わたし」という個性化されたものの主張、そして物語と呼ぶもの。
人生は、この物語で構成されている。
そして物語をつくるからこそ、さらに楽しい。
しかし、個人的な欲求を思いのままにしようとする気持ちが強いと、
その物語は、時には困難さを味わう。
執着すればするほど、歯車の周りはギクシャクし始める。

私たちは、自分以外の人々や世界の出来事をみては、個性化された己の判断で物語をドラマティクに構成する(笑)

つまるところ、それは、他者や世界そのものではなく、その人個人のbeliefの現れなのだ。

なぜなら、人とは、個性化された意識の中で培ってきた世界観や信念などの無意識的なものから判断をし始めるのが当たり前と信じているから。

個性化された世界を視点を変えて、ある1つの意識から観ると、そこには 私しかない。
それが事実だが、人々はそれに気づいてはいない。
よって、自ずと他者との関わりから多くのものを得る、あるいは、受け取ると思い込んでいる。

人生のストリーのカラクリに気づくと、個人にとってよい出来事、悪しき出来事にあまり意味をつけて左右されなくなる。

世界は色鮮やかに満ち、行動や心情さえも変化する。
禅の先生は私なない、生きる さえないという。
それを聴くたびに昔はよく混乱してしまったものだが、それが真理なのだ。

個人の神話やストリーが減ると 違う観えかたが現れる。

仕事も友達もパートナーもお金も所有するという行為さえ消える。
だからといって、物事を粗末にするわけではない。
起こる出来事の1つ1つのことやもの、何かをすることに対して丁寧に喜びと感謝が増してくる。
今では、その意味がわかる。
自由でなんと快適なことか。

Blue Lotus ありのままで

鳥には空が見えない、 魚には水がみえない、 人間には自分がみえない

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