スピリチュアルに生きるということ


10数年以上前のこと、あるヒーラーさんのパーソナル セッションを通訳さんを依頼して受けてみた。
本当のところ、私のマインドは、その癒しのセッションは自分には、必要ないと思っていた。
けれども、なぜか予約して受けたのだった。
セッションは、自分では予想も思いもしなかった意外な方向へ進んでいた。

生と死について
罪悪感について
無力について
悲しみについて

自分の奥底から意識化されていないものたちを淡々とはなした。

ヒーラーさんは、カルマ(業)について説明してくれた。

「過去世のもの現世のもの、そのうちのいくつかはすでに終えています。そして、いくつかは、まだあります。これからの2年間、処方したものをとり続けてください。そして、あなたは、とてもスピリチュアルに生きなさい。」

『スピリチュアルに生きるということは、小さな自分を大きな自分がいつも観ている……そういう生き方です』と。

その時はまだ、マインドはあまりピンときていなかった。

2年後、ふとそのセッションの覚書メモを読む機会があった。

わたしは、心底、驚いた。

そのセッションを受けた2ヶ月後にそれまで行っていた瞑想法からただ坐るに変えてマインドを観る 、マインドから離れることをはじめていた。

『小さな自己を大きな自己がいつも観ている』
生きるということは、過去の理解の自分が道を歩いているのではない。

自分を超えたところ、超えたものたち、そしてその現れが、大いなる贈り物の道を歩く。

だから、個人の自由さはもちろんあるけれど、贈り物の道を個人の思い通りにコントロールすることはできない。

大いなる それとの 協働で人生はおこり、そしてある。

それが、今の 私にとってのスピリチュアルに生きる ということ。


Blue Lotus ありのままで 

鳥には空が見えない、 魚には水がみえない、 人間には自分がみえない

0コメント

  • 1000 / 1000