地に足がついているということ 猫 guesの独り言

地に足がついているって、よく言いますよね。
先日、パートナーから「以前は、地に足がついてなかったよね。」と話されまして、ぽけっとしてしまいました。


思い返してみると、
「はい、その通りでございます。」
今でも、実のところ、どうなんでしょ、、、くらい。

実際、左脚は、子供の頃の骨盤骨折で、40代からは痺れや感覚麻痺があり、まるで手足が無いように感じていたこともありますわ。

あのころは、身も心も 厳しかったですねぇ。

最近は、私のなになに、、、という TAKE が あんまり おこらないので、すごくシンプルで楽です。
こんな風に荷物を降ろして、山道を下る人生を愛してますし、ありがたくて、幸せ。


「私、私、私」自分自身とそれをとりまく状況(過度の欲求、感情、考えなど)に注意がいっていると、

実は、本物の自己は隠れてしまい、現れることができないものなんですよね。

得ようとすると失う
与えると与えられる

その法のとおり、本物の自己も同じ。
得ようとする思いから 、自分自身へ、世界へ 触れ、滋養 が起き、それ
は、現れ、ふと、気づけば、カラダという家に「存在」という住人が、のびのびと自由に住んでいる。

日常の中に悩みや課題はあたりまえにあるけれど、やることをやり、時に、振り回される 小さな私を愛おしく 観る。


何かしなきゃ、、、という自身の気負いや脅迫が消え、 淡々と目の前のことをやっている。

自分の体の中にあるのは、気づきいている というAwarenessがある。

Awarenessは 外に向かってはいない。

お日さまにあたっている時のぽかぽかしてる感覚と一緒に それを生きてます。 

この感覚が あることに  ありがとう




Blue Lotus ありのままで 

鳥には空が見えない、 魚には水がみえない、 人間には自分がみえない

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