薔薇 の贈り物 猫 Guess の独り言
写真は屋上ガーデンンで育てているバラたちです。
私の1番古い記憶は2歳くらいの時のものです。
それは、姉たちがビーチボールをポ〜ン、ポ〜ンとつく音と庭先のバラの大きな株から心地よい風と一緒に薔薇の香りがしていました。
その時の私には、何が起きていたのか、その意味は、わからなかったと思います。
いま、言葉で表すと
「縁側のある畳の部屋で、風のふんわりとした感覚や薔薇の香りに包まれ、てうっとりして放心していた」ことです。
これは、数年前のプロセススキルとトレーニングWSで1番古い記憶を探した時に出てきました。
この記憶は、私とどう関わっているか。
『放心』『委ねる』など、
私と言うものから 離れた 幸福 というessence (感覚のみ)。
いわゆる、瞑想の 「あるがある」感覚です。
私は、バラの香りが大好きです。
バラの芳香は『喜び』と言われており、気持ちを高揚させ、幸せな感覚を人々に与えます。
かつて若い頃、つらいことがあった夜などには、どこからともなくバラの香りが鼻先に漂ってきたものでした。
記憶でアンカーリングされた、バラの香りは、いつでも 思い出すことができます。
何か特別なお気に入りの状況、もの、ことがなくても、
香りを思い出すだけでも、いつだって世界は安全で安心できる「幸福 」そのものです。
このバラの香りの記憶は 「私は何者?」と問いかけてきます。
すると、思考が消えた 私と呼んでいたものは、バラの香りです。
今朝、なんとなく「私」というものを みていたら、「私」 の実存がなかった。
あるのは、個性から 離れた 感覚 だけだでした。
感謝や喜びや幸せ 。
バラの香りは、個性(分離したわたし)を 「それ 」へ 戻します。
私という個性にとって、俗世での1つの強力なリソースです。
当時、我が家では庭先に畑と兼用で草花や果実のかが在りました。
バラ、あやめ、スピルリナ、ダリア畑、矢車草、タチアオイetc……いろんな花が咲いていました。
そんな環境で育ててくれた 母に感謝を込めて。
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